2. 床屋の起源――世界編
2-1. 古代エジプト:ファラオを飾った“ヘアデザイナー”
ナイルのほとりで王権の象徴として華やかなかつらをまとったファラオたち。 その髪型を生み出したのは、金箔を散りばめ、黄金のかみそりを操る〈Per-ru〉と呼ばれる美容師たちです。 ただ髪を切るだけでなく、神々への捧げ物として編み込まれた装飾は、身分や信仰を象徴する重要な要素でした。
2-2. 古代ローマ:トニストルの“散髪+α”サービス
ローマの街角には「Tonsor(トニストル)」と呼ばれる理髪師が軒を連ね、 散髪はもちろん、抜歯や傷の手当てを手慣れた手つきでこなしました。 歴史家が記す「トニストルは刃物一つで人の痛みを和らげた」という言葉からは、 現代のクリニックと床屋が一本の線でつながっていたことがうかがえます。
2-3. 中世ヨーロッパ:バーバー・サージャンの物語
教会の鐘がひびく中世ヨーロッパでは、医師が不足する中でバーバーが“瀉血(しゃけつ)”や抜歯を担当。 真っ赤な血と白い包帯、青い静脈を象徴するサインポールは、 その当時の習慣を今に伝える貴重な遺産です。 そう思うと、あのくるくる回る赤青白のポールも、単なる看板以上のドラマを背負っていますね。

3. 日本における「昔の床屋」は何をしていた?
3-1. 髪結床(かみゆいどころ)──武士を支えた影の匠たち
江戸の侍たちが結い上げる見事な髷(まげ)は、 裏で髪結床の職人が一つ一つ結い上げた賜物です。 身だしなみを整えるだけでなく、顔剃りや鬢付け油の調合、 ときには出張で庶民の耳掃除まで請け負い、まさに「町の美容外科」と呼ぶべき存在でした。
3-2. 断髪令の衝撃と西洋理髪の波
明治維新の高らかな号令とともに発せられた断髪令。 「散切り頭」への移行は、日本人の髪型観を一変させました。 新しい技術を誇示する理髪所は「蒸気タオル」や「電動シェーバー」を店先に掲げ、 当時の新聞広告にはまるで家電のように最新設備が並びました。
4. なぜ「床屋」と呼ばれるようになったのか?
いつしか「床屋」という呼び名が定着したのは、以下のような理由からと言われています。
- 床(ゆか)説: 散髪後に床に落ちた髪くずを掃き集める場所=「床」から転じた。
- 床机(とこづくえ)説: 客が腰掛ける台を「床」と呼び、そこが仕事場=「床屋」になった。
- 床の間説: 客をもてなす「床の間」の語感が業態にも拡大し、客席そのものを指すように。
いずれも「人を迎え、手をかける場所」という共通項が感じられますね。
5. 日本最古の床屋はどこに現存している?
今もかつての賑わいを伝える店構えを残す老舗は、日本全国に点在します。 その中でも特に足を運びたい二つの店舗をご紹介します。
店名 | 創業年 | 所在地 | 見どころ |
---|---|---|---|
柴垣理容院 | 1869年 | 横浜市中区初音町 | 明治期の洋風建築が現役。店内には当時の理髪道具が並び、タイムスリップ感たっぷり。 |
麻布 I.B.KAN | 1818年説 | 港区麻布十番 | 江戸の髪結床から直系で続く店。伝統の袴姿で迎えてくれる職人気質に心打たれます。 |
6. 「床屋」「理容室」「理髪店」「バーバー」の違い
同じ「髪を切る場所」でも、呼び名によってそこに込められた文化背景やサービス内容が少しずつ変わります。 それぞれの顔を見てみましょう。
- 床屋: 江戸期の「髪結床」がルーツ。地域密着で顔剃りも得意とする昔ながらのおもてなし店。
- 理容室: 理容師法制定(1948年)以降の呼称。シャンプー台やマッサージ機を備えた近代的サロン。
- 理髪店: 明治期に西洋式理髪を導入した頃の名称。現在は理容室とほぼ同義で使われます。
- バーバー: 欧米由来の“流行”を意識したスタイリッシュ店。フェードやラインデザインなど最新トレンドが自慢。
7. 床屋の歴史まとめ
古代の華麗な儀礼から江戸の町衆の暮らしまで——床屋はいつも、 その時代の美意識と日常を映す鏡でした。 さあ、次の散髪では「時空を超えた旅」を楽しんでみませんか?